10
コラム

2015.02.15

開ける・抜く

第10回コラムは「開ける・抜く」についてです。

開ける・抜くという言葉は、独特の表現ですが、おそらくは武術系・体捌きの際によく使われます。主として自分がどうするか?という視点で論じられていることが多く、例えば、肩の力を抜いて、手首を開けて、というような形で使われます。

古武術由来の整体術には、この「開ける・抜く」という概念と手法を実際の術として施すものもあり、運動学的にみて、この「開ける・抜く」という言葉は存在しません。

「開ける・抜く」という現象の成立は、実際にやってみるとわかるのですが、無理な行為では絶対におきません。

つまり、強引にやって起こる現象ではなく。身体のシステムの中で自然に起こるものです。自然に起こるものは当然、身体にとっては無理がなく、おさまりやすく、おさまったら元に戻りにくいということを意味します。

その自然に起こる現象をどうやって引き出すのか?というところがコツであり、技術であると考えます。

整体術の中では、主として対象となる筋・関節の緊張を取る際によく使われる技法として存在します。押す・引く・回す、というような基本的な手技によって、開く・抜ける、という現象を起こしているという言い方も可能です。

頚椎を開ける、肩を開ける、手首を開ける、お腹を開ける、股関節を開ける、足首を開ける、などなど。わかりやすく言えば、開ける・抜く、というのは緊張を取り、筋運動・連動(神経伝達)、関節運動などを回復させるということになります。

これまでのコラムで解説してきた考え方で言いますと、呼吸による身体の膨張と収縮のリズムや関節の開閉機能を「開ける・抜く」という手法で回復させるということにもなります。

その開け方は様々です。

手技で開ける・抜くということもできますし、おそらくはツボ刺激によってそれをすることもできると思います、また何等かの振動を使ったり、刺激を使ったりと、おそらく様々な方向からアプローチできます。

私達の提案している養生法(呼吸・整体)としては、自らの動きと呼吸法を使うことによって、「開ける・抜く」という現象を引き出します。結果として、身体の呼吸リズムや開閉機能が正常に作動し始め、個々でみれば筋関節の運動が回復するだけではなく、その個と個を繋いだ連動システムも回復させ、マクロ的にみれば、呼吸による膨張と収縮リズムが円滑に行われるようになり、全身循環も改善し、免疫・内臓機能にも良い影響を及ぼすことが可能となります。

やっている動き自体は、ヨガのようにも見え、ピラティスのようにも見え、またストレッチのように見えますが、伸ばす・縮める・締めるというような概念はありません。

ほとんどが「開ける・抜く」ということ、もう一つ加えると「おさめる」という行為になります。「おさめる」という行為は主に呼吸の中心をつくるという意味です。

端的に言えば、「開ける・抜く・おさめる」という手段を使って行う自分でやる整体ということになります。

この3要素は、色々なメソッドにおいても深く関係する要素であることは間違いありません。

ヨガにおいても、ピラティスにおいても、他の体操法においても、これらの要素を理解した上で実践するのと、型通りにただやるのでは天と地ほどの差が出ます。

当会の副代表である森田愛子が、ある企画で、ヨガ愛好家の為に「どうしたらできないアサナ(体位)を楽にすることができるのか?」という機会で、その際にこの「開ける・抜く・おさめる」という手法を少し使った後にアサナ(体位)が目に見えて楽にできるようになる、という現象を確認しております。

この概念や手法を知っておくと、ヨガでも、ピラティスでも、また整体施術においても、様々な応用や創造ができると考えています。

その人の個性に合わせた体操の指導などを行いたいのであれば、その基準は関節可動域や本人の主観的限界ではなく、「開いているか・抜けているか・おさまっているか」という点に基準を持つと、観察力や誘導力がアップすることになります。

まや、施術家における刺激の強弱も、受け手の身体の反応をみながら行うのは当たり前ですが、刺激が適切かどうかの基準として、同様の点を考慮すると、より個性に応じたケアができます。

これは受け手の主観ではなく、身体の細胞の応えとして私達が把握・認識していくものです。

刺激の強弱が優劣の基準にはならない理由の一つです。強く刺激しても、開いて・抜けて・おさまる場合もありますし、逆に弱い刺激でも、開かない・抜けない・おさまらない、つまり緊張することもあるということです。

話を元に戻しますと、

「開ける・抜く・おさめる」という行為は、身体にとって自然で無理のない手法ということが言えます。身体のマクロ・ミクロ様々な視点から、「開ける・抜く・おさめる」という行為を身体にインプットすることで、身体全体が活性化してきます。

私がその手法を取り入れたのもそれが理由、というよりもいかに自然に身体を変えていくのか?という点を追求していった先にあったのが、これだったということになります。

 

ー追記ー

「開ける・抜く」という言葉は武術系の概念ですが、その武術には殺法と活法というものが存在します。

殺法というのは相手を倒すものであるとするならば、活法というのは蘇生術となります。その蘇生術を整体術として利用したものが現代にも伝わって、息づいています。

蘇生させるということは、戦いで傷ついた戦士を蘇生させるのも、現代社会で不調体質になった方達の呼吸リズムを蘇生させるのも「息を吹き返す」ということになり、それはまさしく身体の呼吸を回復させるものとして私の中では筋が通っています。

一応にこじつけで見ましたが、こういうことも大事にしています。