【悩みのあるなしが本当に問題なのか?】
心と身体に関することで非常に多く寄せられる質問があります。
●●ができない場合、難しい場合は、どのように考えたらよいですか?というものです。
つまり、精神的ストレス、悩み、煩悶の類です。
人間は生きている以上、悩みや煩悶を完全に0にすることは難しいことです。
心の中で生じた問題について心の中で答えを見出そうとする考え方は自然な事と思います。
かくいう私も特に10代の頃は自身が患っていた難病や自身の性格から悩みや煩悶は常にあったように思います。
その処理がうまくできないから病を発症したと言うこともできます。
ただ、難病を克服した今と、10代の頃と、悩みや煩悶の質と量を比べてみると大差はありません。しかし、病ではないという厳然たる事実が存在しています。
その違い、差はどこからくるのか?というのは今回のコラムのテーマです。
自分を責めてしまう、自己肯定感が低い、自分の道がみつからない、生きづらい、というような悩みや煩悶と、その人の体調は本当にリンクしているのでしょうか?
【動き・呼吸を経由して肉体表現される】
まず前段として肉体がどのようにしてつくられるのか?を考えてみます。
腕立て伏せを毎日100回実践したとします。
するとどうなるのか?
胸や腕の筋肉量が増えたり、引き締まったりすることは誰にも容易に想像できます。
力を使う職業の方はその職業に合ったように肉体が変化します。
アスリートしかり、スキーのインストラクター、水泳のインストクターしかり、その状況、環境に適応する形で肉体は変化します。
肉体というのは、その人の多くする身体の動き(呼吸)に適応する形で変化するということをおさえておきます。
ここはわかりやすいと思います。
視点を変えると、凝るような動きや息を止めたりする頻度が高い場合においても、そこに適応する形で肉体がそのように変化します。
つまり、肉体は果、動き(呼吸)は因ということになります。(因果)
肉体に関して悩んでいる場合の多くは動き(呼吸)が因になっています。
【心が身体に直結する?】
心の在り様が身体状態に直結するということは誰でもイメージできます。
本当にそうであるのか?を考える必要があります。
心と身体は一つである、繋がっている、このことは否定しませんが、心の状態はそのまま身体に反映されるという考えを是としてしまうと、浮き沈みの激しい性格の人はその性格と連動することによって一生体調も浮き沈みが激しいということになってしまいます。
先に動き(呼吸)を経由して肉体表現されると言いましたが、心が身体の状態に直結する確かに部分もありますが、心の在り様によって身体の動きと呼吸に変化を生じ(因)、その因に応じる形で肉体の質が決まってくる部分の比率は極めて大きいです。
わかりやすく言えば、精神的ストレスを受けていきなり肉体が緊張して力が抜けなくなるというよりも、精神的ストレスによって身体の動き方や呼吸状態に変化をきたし、その結果として肉体に反映されるというものです。
極端な言い方をすれば、精神的ストレスを受けても、身体の動きと呼吸に反映されなければ、肉体への影響は限りなく小さなものになるということです。
【心の強さは心自体の強さではないと考えてもよい】
私自身、10代の頃と今と比べてみても性格が変わったわけでもなく、悩みや煩悶が0になったわけでもなく、でも元気にいられるのは、心の在り様に関わらず、身体の動きと呼吸に反映させないということを身体技術として修得したからです。
それによって精神的ストレスや悩み・煩悶があっても、身体に反映されないわけですから負の影響が限りなく0に近いということになります。
つまり、精神的ストレスや悩み・煩悶自体を解決しなくても、自分を健やかに保つことは可能ということになります。
心の強さとは、心自体を指すこともあると思いますが、私自身が思う心の強さとは、いかなる心の状態においても、その状態が身体の動き・呼吸に反映されない、その技術が高い、ということになります。
私は常々、
「まず心は放っておいてください。湧いて出るものは抑えることはできませんので自由にさせておくことです。」
と伝えています。
まずはいかなる心の在り様に関わらず、それが身体の動きや呼吸に反映させない技術を磨くことを推奨しています。イメージしやすい言葉を使えば、心は自由、心に振り回されない技術を身につければよいということです。
まずそこで大丈夫な自分をつくる、その上で心の在り様等へのアプローチをすればよいと考えています。また同時でもよいのですが基礎は身体の動きと呼吸にあると考えることが重要な点です。
【まとめ】
そういった考え方に基いて自分自身を磨いていくということを私は養生と呼んでいます。
そして、動きと呼吸が因ですので、調整対象は動きと呼吸ということになります。
結果的に当然身体も元気になりますが、心も強くなるわけです。
これは“心ー動(息)ー身”という一つの考え方です。
究極、地獄にいても動きと呼吸を統制できていれば肉体は大丈夫ということで、それをどこまで高めていきたいか?ということになり、相当レベルまで高めることが可能です。
自分を責めてしまう、自己肯定感が低い、自分の道がみつからない、生きづらい、というような悩みや煩悶があっても、身体の動きと呼吸に反映させない技術があれば自分自身という存在はひとまず、少なくとも身体は大丈夫です。(一部治療が必要な方を除く)
結論としては、
心と身体は分けることはできない、
そして心と身体を考えるとき、身体の動きと呼吸を無視することもできない、
故に身体の動きと呼吸を整えるということは、自分自身の心と肉体を整えるということになり、
つまりは自分をまるごと整えるということになるということです。