はじめに
日本中探しても、おそらくはここでしか学べない一つの呼吸観。
呼吸というフィルターを通して、自分自身、そして自分の周りのモノコト全てを見直してみると、それまでとは全く違った景色がみえてきます。
主宰者である森田敦史が自力で難病を克服した体験と臨床の中で得た気付きから考案されたのが呼吸のニュートラルという概念です。
身体って何?人間って何?健康って何?治るって何?
そんな、そもそも論を徹底的に突き詰めていった結果として行き着いたのが“呼吸”です。
VOICE 33才 男性 鍼灸師
呼吸のニュートラル概念を自分に落とし込んでみると、新しく取り入れた概念なのに、あぁ、やっぱり感というか、腑に落ち方が半端ないです。
たぶん、わかっている人は沢山いると思いますが、説明出来て共有出来るというのが凄いです。あたりまえの事をあたりまえに感じ、出来るようになるために。
基本であり基準です。
帰るべき場所、在り方を学んだ事により今後の進化の基準が明確になりました。
治療というものに携わらせて頂いている中で、そもそもなんなのこれ?という感覚がありました。なんらかの症状を治す(治すというのが正確かは置いといて)、その後、体質改善、トレーニング、セルフケア、メンテナンスというよくわからない概念、くり返し。
結果が出ないわけではないので、それはそれで良いのかもしれませんが、その先について、呼吸と在り方の概念によって第3の案が提示できると感じていますし、そうあるべきだと考えています。
吸って、めぐり、吐く。
全身で感じる息づかい。
完全に決まっていて、完全に自由。
一呼吸を深く意識することによって、本当の意味での身体の素晴らしさ、身体があるという事の尊さがわかりました。
そこには健康であるなし、障がいのあるなしは全く関係がなく、ただ「ある」ことに対しての畏怖と感謝しか生まれてきませんでした。
いつもこのように感じているわけではありませんが、この時から身体を信じるという事が見えてきた気がしています。
「在り方のベクトルが変わる」
‐鍼灸マッサージ師
「呼吸のニュートラルを知って自分の基準が変わった」
‐ヨガインストラクター
「日々の動き、施術中の身体づかいがガラっと変わった」
‐整体師
「抽象的にしかとらえられていなかった呼吸の浅い・深い・乱れが明確な基準としてとらえられている」
‐カイロプラクター
「右にズレたものを左に、というものではなくてど真ん中の普遍的な事実だよね」
‐整体師
「治療師・クライアントが共に幸せになれる一つの方法論」
‐鍼灸師
思想でもない、哲学でもない、意味不明な事も言わず、難解な理論もなく、徹底した事実の提案と、それを理解するための手法としてまとめたのが呼吸・整体であり、それを学ぶ場が呼吸・整体勉強会です。
治療法でもない、健康法でもない、セルフケアでもない、
養生法というスタンスで呼吸を整えるということ。
呼吸は人間が生きている証拠であり、呼吸をせずに生きる事のできる人間は存在しません。
呼吸。
息を吸って、吐く、というシンプルな行為、その中に隠された情報。
大切な事はその事に気付いているかどうか?答えは既にある、という事実に気付けるかどうかです。
呼吸は身体の事、つまりやり方から、自分の在り方に至るまで本当に多くの事を私達に教えてくれます。ただ、息を吸う、吐くという中に込められている事の意味。
息が上がる、息づく、息をひそめる、息が詰まる、息が合う・・・
呼吸の事を一つ知れば、またもう一つ知りたくなります。さらに一つ知れば、それでもなお知りたくなります。
古来から呼吸、息というのは人間に最も身近であり、最もして当たり前の存在、でもまだまだ知られていないことがあります、
ここで学べる呼吸は、横隔膜云々、運動学的にどうとかいう呼吸ではなく、人間の生命としての、息づきとしての呼吸です。
呼吸の事を深めたいのであれば、絶対に通っておいた方がいい、他ではまず学ぶことができない呼吸の知恵を思想論ではなくテクニカルに、そして余さず公開し、共有しています。
それを知りたいかどうか。知って自他に活かしてみたいかどうか。
呼吸・整体勉強会というのは、ただその欲求さえあれば十分に楽しく勉強できます。
活動理念
呼吸・整体勉強会は、呼吸について、養生について、探求心のある方が集い、学び、実践する場です。
認定する、される、ではなく、何を得て、何に活かせているか、という点にのみフォーカスしています。
まず自分が実践し、呼吸が整うということ体験し、体現する。体現した事を今度は人に伝える、そこまでの勉強をしていきます。
一人の人間として、人の身体に携わる仕事人としての自らの在り方と真正面から向き合う事のできる方のみ大きなものを得ることができます。
当会の前身は2009年から2013年まで、有志の専門家向けに行われた講習会にさかのぼります。今、呼吸・整体勉強会は、呼吸を学びたいという探求心の強い先生方が集まっておられます。鍼灸師・マッサージ師・整体師・カイロプラクター・セラピスト・ヨガインストラクター・ピラティスインストラクター・理学療法士・看護師という資格や認定をお持ちの方達です。
また、運営する一般向け講座においても、様々な治療法やメソッドに触れてきた多くのクライアントさんからも、その考え方やメソッドの有用性に支持をいただいてきました。2008年にスタートした講座は4名からのスタートでしたが、2016年時点では毎月100人近い方達が呼吸の勉強をするために参加していただけるようになりました。
主宰者プロフィール
森田敦史 |
呼吸・整体勉強会主宰 渋谷鍼灸理学治療室院長 鍼灸マッサージよこはま北治療院院長 株式会社K-Raku代表取締役 |
13歳で難病クローン病を発症。10年間治療法や健康法を実践し、学び、その自問自答の末、日常の息づかいという気付きを得て自力で克服に成功する。その経験と治療家としての経験を積み重ね、“呼吸の概念”を構築する。単に身体を整えるという事だけではなく、人間としてどう在るか?どう生きるか?という事をホリスティックな視点から考察している。
現在、治療院の運営、一般向け呼吸講座の運営、呼吸・整体勉強会における講習、講演、執筆などの活動、そして研究をしている。
資格・認定
- 鍼師、灸師、按摩マッサージ指圧師(国家資格)
- 碓井流活法教導師
- 啓山易学直門師範
公式ブログ「以心伝心」はこちら
自己修養に行きつくまで~クローン病罹患から克服までの記録~
1、課せられた大きな宿題
それは、中学1年の秋。消化器系の何かいつもと違う違和感から始まり、半年後の中学2年の春に、潰瘍性(かいようせい)大腸炎と診断されたのが始まりでした。
思えば、小学校3~4年の頃から、チック症(乳幼児期から学童期にかけ心と体の成長・発達の過程で多くの子どもにみられる一種の癖のようなもの)・自損症(自分で自分を傷つける行為)・原因不明の突発性蕁麻疹(とっぱつせいじんましん)・奇行(風変わりな行動)、また例えば靴は右から履かないといられない、トイレは自宅以外ではできない、など恐らく精神からくるものと推測できる症状や行動が多々ありました。
これらを一つ一つ分類して考えれば、まさかそこからクローン病(小腸、大腸を中心とする消化管に炎症を起こし、びらんや潰瘍を生じる慢性の疾患)へと繋がるなど結果をみれば心身症(心理的な原因によって、特定の器官に限定されて身体症状が現われる疾患)という共通項からわかっても、その時は想像も出来ませんでした。
しかし、未来に何が起きるのかは、その具体的なことはわからなくても、どのようなことが起こりうる危険性があるかは、それ以前の身体から予測できたように思えます。
「芽は必ず小さな形で発現される」。それに気付くか気付かないかの問題だったのです。私の場合は、小学生の頃にはシグナルは確実に出ており、病気という視点でみれば個々の単発の事象だと捉えますが、身体という視点に立てば、小学生からの延長線上に中学での発病があったことは確かです。
当然、即入院で、入院中に良くなりかけては再発したこともあり、入院期間は4カ月。(1カ月間の絶食)退院後は、サラゾピリン・ステロイド(10mmg)・胃薬・整腸剤を服用し、しばらくは落ち着いていましたが、1年とちょっとした頃の中学3年の冬(12月)、再び再発し、約1カ月間の入院することになってしまいました。
2、失敗と挫折の日々
それから、高校受験が終わり、高校進学後、健康のためにと、陸上競技部に入部。そのおかげもあってか、3年間は再発はしませんでした。ただステロイドの副作用はかなり出ていました。
高校卒業後は鍼灸専門学校へ進学します。この頃に3年間再発をしなかったこともあって、薬の服用や通院を勝手に止めてしまったことが間違いで、鍼灸専門学校の3年時の6月、完全なる不摂生がたたり、再び下痢・血便・発熱・腹痛をおこすようになります。
「病院には行きたくない」との思いから、お灸・気功などを試すも改善する兆候もなく、何とか学期末までは通学していたのですが、夏休みに入ると同時に入院することとなってしまいます。入院や退院を繰り返しながら、鍼灸師・マッサージ師の国家試験に合格したのち、働き始めるも体調は常に不良。翌年に再び症状が再発します。ところが、その時の症状が、それまでの症状とは違うことに気付いたのです。
それまでは腹痛・発熱・下痢・血便が主でしたが、それに加え、痔・口内炎・胃部の不調・関節痛・関節の腫脹・変形、喘息用発作など実に多様な症状が現れるようになったのです。
病院での検査の結果、それまでの大腸限局のびらん性潰瘍ではなく、クローン病特有の敷石状潰瘍(ヒダに囲まれた残存する健常な粘膜が敷石状に見える状態)へと病態が変化していたのです。
結局、それまでの潰瘍性大腸炎から、今度はクローン病と診断されることになります。担当医師もこの辺のところはわからないそうですが、調べたところ、稀に移行するケースもあるとかないとか、どちらにせよ確実にクローン病だと診断されました。
約1カ月半の入院加療で回復し、退院しましたが、その後は全消化管の不調は続き、いったん食事を食べられなくなると2~3週間はおもゆにするなど何とか状態をつないでいる状態を続けました。
私が病気に対しての治療に疑問を感じ、身体に対して治療することの重要性を現実に認識したのはこれがきっかけでした。これだけ一気に起こってくる症状と、突然の病名変更。これは、病気が問題なのではなく、身体が問題なんだと考えるようになったのがこの頃からです。
本当に当たり前の事ですが、ここにくるまで頭でわかっていても実際にはわかりませんでした。正直なところ、それまで、西洋医学はもちろん、東洋医学、気功、民間療法、健康法、食事療法など色々な事を自分が出来る中でやってきてこの結果でしたので、もう手立てがないと当時は思っていましたし、何よりも考えるのに疲れたと言った方が良いかもしれません。
3、絶望から生まれた光明
多様な症状に見舞われた挙句にクローン病と診断され、私の中では「治そう」という意志は完全に消え、「治そう」ではなく、治らなくてもいいから「今を楽に」「明日を楽に」「楽な状態をもっと」というように病気というよりは身体に対して、どうすれば楽になれるか?それだけを毎日考え、実践していました。
今考えると、ここがターニングポイントで、みるべき対象を病気から身体へのシフトチェンジと、「動き」に着目したこと、自分の中で考え方の革命が起こった瞬間だったと思います。
「こうやってしゃがむと疲れる、だからこうすれば楽だ。」とか、「こう歩けば疲れない、楽だ。」「こう動くと疲れる、だから無駄に動くのをやめよう・・・」「あっ、こういう時にこういう力みがあるんだ、これを力まないためには・・・」など。自分の動き方を徹底的に力まない動き方(呼吸を乱さない)に変えてみたのです。
そんな生活を約1年、来る日も来る日も繰り返し、気付けば症状が消失し検査値も正常になっていくことになります。
ちなみに発病の大きな要因と考えていた自分の気質(心)、これは全く変わっていません。身体に対しての考え方は変わりましたが、元々持っている病的な気質(心)は今でもその傾向が存在します。
でも、今は身体の不都合や異常はありません。つまり、気質は変わってないのだが、身体は元気という状態です。それまでは気質が変わらないと身体は変わらないと思い込んでいた節がありましたが、気質を変えようとしなくても元気になれるということを体験しました。
実践したことは、「病気(効果)ではなく身体(変化)にフォーカスしたこと」「呼吸と動きを変えたこと」ただ、それだけなんです。この体験から、「心身は一つ」というのは、心と身体の間に、「動(息)」が入り、その連結した1つの機能体(心-動-身)が一つの人間をつくっているのかもしれないと思うようになりました。
「呼吸と動き」の調整と統制で、心と身体を整えるというものです。そして、動きを追求する生活を送ることになり、その中で、動きと呼吸の繊細な関係性に気付くことになります。動きは呼吸の為にあり、呼吸を守るための動きであるということです。
呼吸が生命の流れそのものであると自覚したのがこの頃です。心と身体を繋ぐ動き。動きとは呼吸(息づかい)。そしてニュートラルな息づかい。
最初は大きな動きと大きな呼吸の調整と統制、それができるようになると、少しずつ動きと呼吸のスケールが小さくなり、最終的にはただ在る時の動きと呼吸というところまでたどり着き、その頃には気付けば症状は無くなっていました。
その後、血液検査や内視鏡検査を受けた結果、検査値も正常。胃や大腸の所見も過去の痕跡はあるものの、正常人そのもの。この時点で薬を服用する意味が0%になったことと、飲まなくても問題なしと勝手に判断し全ての服用をやめ、通院も止めました。
当然難病申請もやめました。
それ以降、今に至るまで10年以上、何にも症状はありません。
再発•寛解の間が短くなって、動きと呼吸に気付く直前の時の常に症状がくすぶっていた状況からは信じがたいことです。自分なりの自然体がつくれたのだと判断しています。
おそらく身体の要所の緊張や循環を改善させ(調整)、また身体の緊張を呼ぶような動きをやめた(在り様の変革)ことによって(統制)、結果自然治癒力の十分な発動を邪魔するものはなくなり、治癒したものと考えています。
このような体験を通して、自己修養(調整と統制)という考え方と、「動くこと」と「呼吸(息づかい)」という視点から体質・自然治癒力を解釈し、自分だけに当てはまることではなく、他者にも有効であることを、臨床を通して感じ、手法の研究・発案を重ね、現在に至っております。