17
コラム

2016.12.12

所作の陰陽

 第17回コラムは所作の陰陽です。

 

 所作に関わらず、何等かの身体動作をおこなう場合には陰陽という考え方を活用すると様々な気付きが得られます。

 

 ここでいう陰陽というのは、意識、感覚という点においての陰陽であり、その陰陽が実体の動きに様々な影響を与えていくというものです。

 

 所作、つまり動きには必ず陰陽が存在します。但し、明確な境はありませんし、陰陽は消長する、と言う大前提のものですが、

 
 
 この所作の陰陽を成立させることを、様々な形で体現できれば、基本的に身体を酷く痛めることはありません。
 
 
 そしてこれは全く難しいことではありません。
 
 
 例えば、わかりやすく言えば、右手で物を取るという行為において、
 
 
 右手は陽、足は陰となります。
 
 
 つまり、取りに行くという事において、直接的な対象の物と関わりを持つ身体部位、意識が及びやすく、感覚として無意識的に感じることのできる身体部分を陽とします。
 
 
 対して、直接的な対象物との関わりが薄く、その行為において意識や感覚が希薄になりやすい部分を陰とします。
 
 
 身体の勉強をしている方であれば当たり前のようにわかることなのですが、要は全体を動かしましょうということになります。
 
 
 但し、ここでポイントになるのが、意識と認識の違いです。
 
 
 意識して立つ、意識して動く、というのは一歩間違えれば過剰な力みを誘します。また、良い姿勢、良い歩き、良い○○、そのように指導されてもなかなか続かないのが本当のところです。
 
 
 なぜでしょうか?
 
 
 疲れるからです。
 
 
 なぜ疲れるのか?
 
 
 陽の意識といのは能動的なもので、能動的な意識を常に身体全体に波及させ続けることは少なくとも一般の方にとっては難しく、またプロであっても自然か不自然かと言われれば不自然です。
 
 
 また、陽の意識は何をする、という時に働き、その対象によって変わってきます。それは1日の中で多く起こります。
 
 
 陽の意識は日常の仕事、作業において使いますので、そこにさらに陽の意識を追加するから疲れるということになります。
 
 
 その最たるものは、良いと言われている、そう思い込んでいる姿勢で固まっているというもので、それは自意識過剰になります。
 
 
 自意識過剰は陽の意識が過剰であると私は捉えています。
 
 
 ではどうすればいいのか?
 
 
 陰の意識を育むことです。
 
 
 全体を陽化することではなく、全体を認識しつつ、その全体の中の陰陽を認識して動くということになります。
 
 私は個人セッションの際には必ずクライアントさんの意識・感覚の陰陽(動作イメージ)を読みますが、
 
 
 身体を痛めやすい、体質や体調がおもわしくない方のほとんどは、陰がありません。また、あっても陰ではなく陽の意識です。
 
 
 つまり、物体としての存在はあるのですが、感覚として右手以外の存在がないか、もしくは感覚として全てが陽化(○○する!)されていると言えます。
 
 
 感覚としての存在がないとは、
 
 
 右手で物を取るときに、足は物体として当たり前にあるのですが、本人の感覚として、足という存在を認識できていない、存在するが存在感がないということになります。
 
 
 例えば、右手で物を取るときに、
 
 
 既に存在している股関節や足部があるという事実を認識してもらうだけで所作は変わります。
 
 
 多くの方が勘違いしやすいのは、全身を○○する!というような能動意識(陽の意識)を波及させなければならないと思っているところです。陰の意識を育むというのは、○○する!ではなく、既にあるという事実を認識するということになります。
 
 
 力みというのは陽しかない場合と、陽が過剰になってしまっている場合に多くみられます。
 
 
 陽しかないというのは正に今説明した通り、
 
 
 陽が過剰になるとは、右手が陽であれば、足も陽になる、つまり過剰な意識によって全身を支配しようとする意識になっているというものです。これは身体マニアに多い傾向があります。
 
 
 これは、少しスケールを大きくすれば、自分という物体としての存在はあるけれと、自分という存在の感覚がない、または強い能動意識によってのみ存在しているという現代において最も危惧される問題とつながっています。
 
 
 意識は、移動する部分と固定(ただ存在しているという意味、硬めるという意味ではない)している部分を踏まえて存在し、その存在を認識して動いてしまうという世界をつくりだすのが陰陽が成立した動き、自然な動きというように解釈しています。
 
 
 そして、呼吸・整体の調整法では必ず動きにおいて陰陽を成立させます。日常の中で自然に陰を感じてしまうようにするということが重要です。自然に感じようとする事自体が陽ですのでつらい、感じてしまうということは感じてしまうので能動的ではありません。
 
 
 力んで動いていたものが陰陽を成立させることでスムーズに動くことができ、またその機微は自分で発見することによって日常への落とし込みが可能になります。
ただ、陰陽は固定されたものではなく消長します。
 
 
 例えば、脊椎を下から回旋させていくとすると、
 
 
 腰椎回旋時に腰椎が陽だとしても、胸椎に移行すれば胸椎が陽になり腰椎が陰になります。
 
 
 そこから頚椎に移行すれば胸椎が陰になり、頚椎が陽となります。
 
 
 もっと言えば、脊椎を下から回旋させていくというスケール全体が陽だとすれば、足は陰というようになり、
 
 
 そもそもそれをしようと思うことを陽だとすれば身体という存在は陰になります。
 
 
 また、話を戻せば、存在は陽、存在感は陰ということにもなりえます。
 
 
 このように刻一刻と環境、状況で変わっていくのが陰陽というものです。
 
 
 これを身体で捉えるということになり、できればシンプルなところです。
 
 
 統合ワークというの呼吸・整体のワークの一つは、その感じてしまう身体、つまり陰の意識と陽の意識との調和、陰陽の成立をはかる事ができます。
 
 
 自分の身体の対話に必要なのは、能動的な陽の意識ではなく、感じ取ってしまう陰の意識です。自分と向き合う!というような!マークの意識は既に陽ですので、興奮しておこなうものではないという事です。この辺がわかると「何もしなくても調子がいい」という事の本当の意味もわかります。
 
 
 
 キーワードをまとめると、
 
■意識・感覚の陰陽
■全体の陽化は続かない原因になる。
■存在と存在感
■陰の意識・感覚を育むこと。
■陰陽は消長するということ。
 
 
 
 陰の意識をつくるポイントは点から線、線から立体、立体から全体というところです。
 
 
 陰の意識とは、感じ取るものではなく、感じてしまうという感覚ですので、無理がありません。
 
 
 在るというのは陰、動くというのは陽、動いてしまうというのは陰陽成立。そんなイメージです。クローン病であった20才前後の時、感覚的にこんな事ばかりしていました。
 
 
 陽から、陰陽、陰陽から陰陽の成立、そして全体①という感覚です。
 
 
 最終的には人間という一つの存在という全体意識で動いて自然に陰陽か成立できればよし、ということになります。