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コラム

2018.04.19

型は育てるもの

 型にはまらないという言葉はあくまで型を突き詰めつくしたからこそ言えること。

 そんな言葉もありますね。

 今回のお題は「型」です。

 型を極めるというのは何も武道などの分野にだけ共通するものではなく、もう少し穏やかな目で見れば広く私達に活きる知恵としてあることだと思います。

 型には型自体に意味があります。多くの人が型をみるとき、その型自体の意味に注目する人が多いですね。

 もう一つ、型は育てるもの、という側面もあります。

 例えば、5つの肩凝り体操を1つの型として実践してていく場合。

 1、僧帽筋
 2、菱形筋
 3、胸鎖乳突筋
 4、腕橈骨筋
 5、斜角筋

 それぞれに対応した体操だとします。

 型自体の意味を考えれば、それらが正常化する、というものであり、当然実践する人はそれを期待し、おこないます。

 型は育てるもの、という側面で同じ体操を眺めてみるとどうなるでしょうか?

 その体操をする際の速さ、リズム、手順、コツ、そうしたものはその時の身体の状態や精神状態が如実に反映する部分です。

 つまり、それらは5つの体操がしっかり作用し、効果を出せるか否かの重要なポイントになってきます。

 それらのポイントがしっかりできるように修得するというのが型を育てるということにスタートです。

 スタートというからには続きがあります。

 速さ、リズム、手順、コツ、そうしたものを修得していくと、それを基準にあることがわかるようになります。

 その日、その時によって「違い」が出てきます。

 例えば、精神的に落ち着きがない時に5つの体操をいつもの型でやろうとすると、ひどくイライラしたり、速くやりたくなったり、そういう衝動が出てきます。

 辛くて辛くて、効果を求めすぎてもそうです。

 また、ただ漫然とこなすだけでもそうです。

 つまり、型が崩れます。

 型を修得していけばいくほどに、崩れる瞬間、崩れている自分、崩れそうな自分に気付く事ができるということになります。

 その衝動に負けて、その衝動に従ってしまうと結果的に、その体操は効果が薄いものになってしまいます。そして、それを次、その次、と繰り返していくうちに、いつ間にか我流になってしまい、ポイントをすっ飛ばしていたり、ポイントがズレていたりします。

 それは誰にでも起きうること、ですのでそれを習う場というのが存在するわけです。

 では、そんな自分の気付いてしまったらどうすればいいのか?

 それがわかると自分で本来の自分を取り戻す術になります。

 徹底的に、速さ、リズム、手順、コツ、これらを習った通りにやる事だけに集中すればいいのです。

 その間にも様々な衝動にかられますが、それでも淡々とそこを死守して実践し続けることです。

 あるところまでやると、それらの衝動が消える瞬間が訪れます。(消える瞬間速く来いと思っているうちはこない)

 すると、あれだけじれったくやっていた事がいつもようにできるようになってきます。

 型を学び、型を育てていくと、自分自身の在りように気付く力が向上するとともに、その型がそっくりそのまま自分自身を取り戻す術にもなります。

 こういう体験を何度となくすると、それは大きな安定・安定の源になります。つまり、安心や安定は自らで育てるものだとも言えます。

 型自体の持つ意味は大切。

 しかし、型を育てていくことはもっと大切。

 一般の方であれば1つは。

 プロならば幾通りもの型を持っておくとよいと思います。(呼吸・整体では基本だけで4~5つの型があります)

 型自体の持つ意味に飽きたら次の型へ、という行動には型を育てるという行為が入っていません。

 自分軸が欲しいと願っていて手に入っていない方には型自体の持つ意味にフォーカスし、型を育てるという発想がない方が少なくありません。

 なければ持てばいい、学べばいいだけです。

 最後に、90歳で本当に幸せな形で天寿を全うしたあるお爺さんの話。

 朝起きて、太陽に手を合わせ、新聞を取り、トイレに入り、水を飲み、椅子に座って新聞を読み、着替えて、体操し、寸分違わぬ速さ、リズム、手順、その人なりのコツ。

 特別な礼拝方法を知っているわけではなく、特別な水を飲んでいるわけでもなかう、身体工学に基づいた椅子に座って新聞を読むわけでもなく、特別な体操をしていたわけでもありません。

 どこにこだわるかは人それぞれ。

 型は育てるもの。

 お役に立てたなら幸いです。