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コラム

2018.10.05

腰痛が1回の治療で治る事の表裏

【前略 プロレス的スタンスはとらない】
 
「腰痛が1回の治療で治す事で失うもの。」

 こういう題名にしようかと思っていたのですが、恣意的なので表裏としました。

 セミナー業を主催する先生の中にはアウトローを自称し、あえて刺激的な言葉を書き連ねて人を動かすタイプの先生がいます。当然それに反応する人間もいますから賛否が分かれます。

 そこで散々批判され、中傷を受けたと公開し本気で悩んでいる体を見せて、賛同者との絆を深めるというやり方をすることも見ます。

 色々なやり方をする先生がおり、それはその先生の自由ですので何ら思うところがありませんが、私個人としてはそういう事は非常に疲れるのでやりません。

 やらないから、前述したタイトルは却下したという経緯です。

【1回の治療で治るということの表】
 
今回は腰痛が1回の治療で治るという表裏を眺めてみて、何かを考えるきっかけになれば幸いです。

 腰痛という存在をここで考えるとき、事故や怪我、器質的な問題、内臓疾患等は除外し、慢性的な機能的な問題から引き起こされた腰痛と考えていきます。

 慢性的な腰痛というのは、わかりやすく言えば、その人の身体の扱い方の問題が顕在化したと言えます。

 もっと言えば、動き方、姿勢の取り方などです。

 それを自分自身で修正できない、回復力が追い付かないから腰痛を発症するというところに至ります。

 つまり、その人の日常に起因点があるということです。

 治療というのは、その症状や症状を引き起こしているところ、またはその人が腰痛になるべくしている癖の表現されている部分もしくは全体に働きかけて改善・快癒を目指すというのが誰にでもわかる理屈です。

 腕のよい先生であれば1回で症状を0までもっていく事もあるでしょう。

 治療を受ける側からすれば、ずっと悩んできたものを1回もしくは数回で、または明らかな改善をしてくれればこんなに嬉しいことはありません。

 ですから、受ける側の立場からすれば、腕のよい治療師をいかに探すか、というは大切で、健康に不安がある方であればなおさらですね。

 ここまでは表。

 次は裏。

【1回の治療で治るということの裏】
 
慢性腰痛の多くは、身体の動かし方に偏りがあり、もっと言えば、そういう偏った動きを作り出してしまう意識が存在します。

 その結果、例えばどこかに負荷がかかり、それが限界にきて腰痛発症となるわけです。

 腰痛発症というのは、ある意味、その部分に気付き、是正していく機会にもなり得ます。

 1回の治療で治るという現実は、その機会が事実上失われることを意味します。事実上と言った理由は、喉元過ぎれば熱さ忘れるのが人間の常だからです。ですから治療で治した後にそういう是正をするというのは中々できる方はいません。

 確かにうまく治療すると、身体の動かし方の偏りも修正できます。ですので、再発する事も少なくなります。

 うまく治療できなければ何かあると再発します。

 では業界がレベルアップしてうまく治療できる人間を増やせばいいのか?それはそれで必要なことでしょう。

【根っこという問題】
 
しかし、腰痛発症に至る動きの偏りが、その動きに至る意識の段階で生じている事を考えると、治療では、意識の段階までは修正することは困難であると私は考えています。そういう事ができる先生を知っている以上は0とは言えませんので広い意味で言えば困難という意味です。

*意識の段階、つまり意識とは何か?またどこかで説明するときもあるでしょうが、動くという事が物理的な移動が生じた時に生じるという考えではなく、少なくとも動くという意志が発生した瞬間から始まっており、それが実際の物理的な移動、つまり動きに影響を与えるという考え方です。言葉で言うとわかりづらいですが、誰でも日々体験していることです。

 その意識から派生した腰痛ルートは遮断できたとしても、その意識の偏りは違うところにも派生していくものです。

 こう感じた事はないでしょうか?

 “いつだって失敗する時の根っこは同じ。”

 失敗の形は違っても、根っこは同じ。

 その根っこが意識ということになります。

 話をそらします。

 プロとして心身の世界に従事している今、自分の方向性で悩むこともあるかと思います。その悩みの根っこは同じだと感じませんか?ということです。

 それを刹那的なノウハウで解決しようとしていませんか?ということでもあります。それは一時的に解決されたとしても、そこに至る意識をクリアにしておかないとまた違ったところで同じ根っこから派生した悩みに陥るということです。セミナージプシーがこれです。

【表裏を踏まえて考える】
 
話を元に戻しますと、

 1回の治療で治るという事によって、そういった自分自身の課題と向き合う機会を失うことがある、というのが裏です。

 命に関わる問題や痛みが激しい場合であれば選択の余地はありませんが、そこのボーダーあたりの機能的な症状は微妙なところです。

 こう考えると少しわかりやすいかと思います。

 慢性腰痛に悩み、本気で治したいと思って行動する方には大きく分けて2通りの方がいます。

■できるだけ腕のよい先生を見つけて早く回復するという選択をする方。

■もうこれは自分自身の問題から引き起こされた事だからそこから見直そうという選択をする方。

 前者は治療師を探し、後者は私のような人間のところに来ます。

 単純に腰痛が1回で治るという事を正義とした場合は、10回よりも、1回で治るところが優秀だということになります。(前者発想)

 しかし、後者発想に立てば、自分自身と向き合わずに何ら是正されない状態で1回で治っても、ということなります。

 10回かかった中で、自分自身の意識の段階から見直し、そこに気付けた上で治ったということをどうみるか?ということになります。

 結論から言えば、腰痛が1回の治療で治るというのは絶対正義ではなく、逆に根っこの課題と向き合うということが絶対正義でもないということです。

 結局は受ける側が何を求めているか?ということに尽きますのでどちらが正義とは言えないところです

 しかし、この事に対する自分の考えとスタンスは現時点で結構ですので、明確に持っている必要はあります。なぜなら前者を求める方も、後者を求める方もいるからです。またそのボーダーに位置する方も多いからです。結果的にそれは患者さん、クライアントさんの利益と直結するところだからです。

 さて、なぜこういう答えのないコラムをあえて書いたのかと言えば、その辺のところを漂っている方が多いと感じたからです。プロの中でも。

 前者を求める方はいます。

 後者を求める方もいます。

 私は、あなたは、何を提供する、何を提供したい人でしょうか?

 腰痛が1回の治療で治る事から一つ考えみました。