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コラム

2018.10.16

瞑想を考える

 瞑想、ヨガインストラクターはもちろん、鍼灸師、マッサージ師、整体師など心身の色々に従事する方ならば少しくらいは興味があるものだと思います。
 
 瞑想の効能は各自調べていただければわかるのでここでは割愛します。
 
 自分という存在の質を高める、そういえば当たり障りがないかもしれません。
 
 実際のところ呼吸・整体というのは典型的な動的瞑想に入ります。動的瞑想の中でも恐らく他に類をみないアプローチをする瞑想になるでしょう。
 
 呼吸・整体という名前から、セルフ整体、セルフケアをイメージされる方も多いかと思いますが、動的瞑想の類です。
 
 この瞑想、有効と言う方と危険と言う方に分かれます。
 
 その辺を呼吸・整体を交えて私見をお話していきますが、瞑想を実践していたり、学んでいる方の役に立てる内容かもしれません。
 
 ある程度、瞑想に対して知識がある方にはわかりますが全く知らない方はある程度、瞑想に関して情報を入れてから読むとよいです。
 
 瞑想にも色々ありますが、精神エネルギー(例えばイメージ)を使った瞑想は伝え手の深い理解と、誤った精神エネルギーの誘発を防ぐ仕組みを手順化しておかないと危険です。
 
 例えば、呼吸・整体における自然呼吸回復プログラムは、ある種の動的瞑想なのですが、そのワークの手順、誘導を厳格に定めているのはそういう理由もあります。
 
 それは精神誘導しないという鉄則があるからです。
 
 精神誘導は、自立を生みません。また自らの可能性を引き出すというよりも、他者から与えられたイメージによってつくられた幻想に近いものがあります。
 
 この精神誘導は一歩間違えると、洗脳・支配・依存に繋がります。
 
 それをしないための、あくまでその人自身の可能性を引き出すためにはそういった精神誘導を極力排除した上で伝えることが求められるわけです。
 
 ですので、精神エネルギーを使った瞑想は高い倫理観と、完璧に設計された手順の元に行う必要があるのです。
 
 受ける側にとっては簡単に見えても誘導を間違えると変に精神エネルギーを発動させてしまい、自分も相手もおかしくなります。
 
 だから一度受けただけで人にシェアすることは絶対厳禁であり、厳しくしています。
 
 また、精神エネルギーを使わない瞑想においても瞑想する側が勝手に精神エネルギーを発動させることに関してはその段階に至っていないと考えます。
 
 その場合は、瞑想というよりも身体調整が必要であり、また瞑想するのであれば身体条件をかけなくても大丈夫な形に落とし込んだ瞑想を実践した方がよいです。
 
 呼吸・整体で単に瞑想ではなく、動的瞑想として身体調整の要素を重視するのはここからきていることもあります。
 
 つまり、瞑想を危険視する方も多いのですが、それは何を指して、どの部分の瞑想なのかを挙げないとかえって混乱を引き起こします。
 
 瞑想自体全てが危険なのではなく、瞑想の伝え手の倫理観や手順・誘導スキル、受け手の段階を無視した瞑想が危険なのであって、
 
 瞑想自体が危険であるという考え方は何か瞑想の一端のみを取り出して言っている可能性が大きいとが考えます。
 
 私見ですが、瞑想が危険というのは夜の闇が危険とだから夜は外を歩いてはいけいないと言っているのと同様で、
 
 では人間は夜出歩くことがないのかと言えばそんなこともなく、月明かりのない日の夜の外出は危険でも、月明かりがあれば、それに加え身体感覚があれば、それなりの注意の元で可能です。
 
 逆に昼は危険がないと言えばそれも違います。
 
 朝、昼、夜、という陰陽の加減で考えれば、それぞれ人に与える影響は違い、その違いを利用することによって受ける恩恵も変わります。
 
 要は注意点があるということです。全てが危険だからダメということになりません。
 
 では、安全な瞑想とはどのようなものかと言えば、夜の暗闇で大切なのは月明かりであるように、瞑想においてもその月明かりを存在させられるかどうか、自分という存在の実在が存在感としているかどうかが鍵になります。
 
 手前味噌で恐縮ですが、自然呼吸回復プログラムというのが私が推奨する誰にでも可能な安全な瞑想です。
 
 精神エネルギーを使わない瞑想であり、また余計な精神エネルギーを発動されにくく設計されており、また身体的土台もそこまで求めなくても成立するものです。
 
 また自然呼吸は偏ったところに没入させることなく、現実を生きる人間を成立させた上での瞑想(思考と本能の共存)ですので、離人化することもありませんので、その類の危険性もありません。
 
 その上で、高い再現性で瞑想としての高度な変化を感じることができ、それを日常の在り方に繋げることもできます。
 
 これをつくるために、誘導の「てにをは」やタイミング、発する言葉の選択まで徹底して気を遣っています。
 
 瞑想を伝えるというためにはそこまで必要であり、瞑想を健全に伝えられる方は、そういったところを確実に理解して伝えています。というよりもいて欲しいです。
 
 1回受けると、さも簡単に映ります。
 
 しかし、受けるのが簡単だから、誰にでもできるものだから、伝えるのも簡単、にはならないと思うのであります。
 
 私は瞑想は人生を豊かにするものであると考えています。不調体質の脱却から専門職等のスキルアップ、何よりもそれをきっかけにして様々な気付きがあり、在り方が変わってきます。
 
 しかし効果があるものには必ず危険性も存在します。効果にフォーカスして盲目になってはなりませんし、危険性を取り出して全てが危険だと言うのも短慮です。
 
 だからこそ常に厳しく考える必要があると思っています。