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コラム

2015.01.10

“気にしない”を身体技法として考える②

第7回コラムは第6回コラムの続編です。

まず、気にしないという身体技法をのべる前にそれを実現させたときに起こる現象を説明したいと思います。

多くの患者さんが望むこと、そして多くの治療家が望むこと、

それは、不調を改善すること、不調が起きにくい身体をつくること、起きても放っておけば早期に回復すること。

ではないでしょうか?

現実として、自己修養、養生法を進めていくと、これらの事が実現できます。

肩凝り・腰痛・ひざの痛みに苦しむことなく、また突発的に起きてしまってもほどなく回復できる、というものです。

そういう身体をつくりあげていくときに重要なことが、自然治癒力を常に発動させている状態を維持することです。

具体的に言えば、日常生活の中で、1日の中で、身体の膨張と収縮というリズムを、つまり呼吸を阻害しない習慣を身につけられるかどうかということになります。

一言で言えば、日々の在り様。ここが、治療を必要しない身体、放っておいても治る身体をつくる際の肝ということになります。

気にしないということを身体技法として実践するのがまさにこの部分です。ただし、この身体技法の基礎には、ある程度自然治癒力が発動している状態まで身体を回復させ、その感覚がある事が大切になります。

それではいくつか代表的なものを具体的にあげていきます。

すべての基準は呼吸状態です。呼吸状態を徹底管理することです。

①一旦停止(動きの納め)ができていない方は呼吸が乱れる。
 
呼吸を阻害する人の多くは、身体動作における一旦停止(納め)ができていない人が多いということです。ドスンと座ったり、右行ったり、左行ったりとする中で一つ一つの動きを納めるということができていないということです。

動きが無造作に流れるということになります。

動きが無造作に流れると、呼吸は阻害されやすくなり、緊張しやすくなるだけではなく、精神的にも余裕がなくなります。

②エネルギーの方向性のリセットができていない方は呼吸が乱れる。
①からの延長線上にあるのがエネルギーの方向性です。エネルギーとは身体内部に生じる力の方向性とも言えます。動きが流れると、身体内部に生じる力の方向性に統一感がなくなります。

 
統一感がなくなってくるその時点で、呼吸は阻害されます。また、身体全体がふわふわと地に足がつかない、つまり重力線がシンプルに地面に対して通っていない状態を生まれます。グラウンディングできていないということの一端です。

①、②を修正していくと、地に足がつき、また身体を傷めにくくなります。また精神的にも常に余裕がある状態が生じますし、物の観方も変わってきます。うつ傾向にある方や情緒不安定な方、感情の起伏によって体調が左右されやすい方などはここが重要なポイントになります。

③残心、つまり終わりを目指す人は終わりが近づくにつれて呼吸が乱れやすい。
例えば、毎日ものすごいエネルギッシュに働いている方、呼吸を乱し、止め、という連続で、さらに仕事や一つの作業の終わりまで呼吸を止めて集中して、終わったら「あぁ~終わった~」という感じです。

どのような働き方をするのかは本人の自由で、頑張ることは認めますが、そのようにすれば、やりきった感で脳は気持ちよいかもしれませんが、そういう働き方を恒常的に続けていると身体には確実に悪影響が出ます。

集中する事と呼吸を止める事はイコールではありません。この場合は集中しているというよりは無理をしているということになります。

この部分を改善できると身体は飛躍的に疲れなくなり、このワークをやってから体が劇的に疲れなくなった方は少なくありません。

 

④物の扱いが雑な人は呼吸が乱れる。
物の扱いが雑な人は、言い換えれば物を扱うというのは身体の扱うということですから、それが雑になります。身体の扱いが雑というのは①~②の問題があります。

物の扱い方一つを変えるだけで、呼吸や動きが変わることは簡単に実感できます。

⑤溜める・落とす・いきむ、を何かをする瞬間は良いですが、それを恒常的に行っていると呼吸が乱れる。
結果的に①~④が出来ていないと、恒常的に呼吸を阻害する癖が身に付きます。恒常的に呼吸を阻害するということは、身体の膨張と収縮というリズムを自らの行為によって阻害している事になり、結果的に不調体質へとつながります。

自己修養、養生法では、ここの部分を極めて重要な部分と位置付けています。すべて“動き”ということが対象です。それも突飛なことではなく、既に日々行っている何気ない動きが対象になります。誰でもできます。

このようなワークを調整法の中に入れ込んで、または単一でも学習していくと、ある瞬間から呼吸を阻害しないということ、それが膨張と収縮のリズムを阻害しないことが身体技法として感覚的にわかるようになります。

その感覚こそが、気にしないという身体技法そのものです。

その感覚をつくってしまえば、後は自ら考えて、それを強く太いものにしていけばよいということになります。私共が提案している自己修養、養生法の統制法というのがこれにあたります。

以下は余談です。

今回お話したことは作法です。

○○道と名の付く作法には、少なからず共通性があります。

それは作法のための作法にあらず、身体的にみればこういった意味があるということを知っておくと、様々な学びがあります。

そして、私は調心・調息・調身という言葉が好きです。

私が考えるそれは、すべて“動=息”による心身の調和。

心ー動(息)ー身。

気にしないという身体技法は動禅の世界かもしれません。